しんどいご飯が食べれなくなって10目

体重は54キロから48まで落ちた

しんどいひたすらしんどい

考えたくはないけど考えてしまう

傷つくのが怖い

冗談でまた女の子にって考えてしまう

そこに下心があったなかったとしても書いているって言うのは事実なのだから

またお金を渡してって考えてしまう

その気じゃなくても文字で【お金ないの?えっちする?】って書いていた事には変わりはない

私がグチグチ言ってストレスになってるってんのは知ってる

私も辛い顔のゆうくんは見たくない

私が死んでしまえばいいのだろうか

私が死んでしまえば束縛も縛りもなく

絡みたいように絡んで冗談で女の子とイチャイチャ出来る

そしたらゆうくんは幸せになれるのかな

私がいない世界はどれだけ周りを幸せにするんやろ

私がいなくなってそしたらゆうくんは新しい彼女作ってその人と結婚して1回しかチャンスがない精子使って子供が出来てその人と幸せにおばあちゃんおじいちゃんになっても手をつないで笑って生きていくのかな

それが私でありたいけど怖いんだよ苦しいのよ

また裏切られるのが

ゆうくんはそれを浮気だとは思ってないって言っているけれどそれでも傷つくんだよ

俺のこともわかって欲しいって言っていたけど

わかりたいよわかりたいんだよ私は

でもわからないの

冗談で好きって言う事が

それを彼女である私に隠していることが

つい言ってしまったお金ないの?えっちする?って言った時のゆうくんの気持ちや考え方とかわかんないよ

去年の8月21日にもう絡むのはやめてって言ったのに

絡んでイチャイチャして私の知らないところで隠れて嘘ついて、わかりたいよ

傷つくと思って見せなかったのなら

最初からしないでよ

好きだから隠した見せたくなかったなら最初からしないでよ

わかりたいよ、ねぇ、わからせてよ

どんどん悪化するだけの体調に

どんどん不安になるだけの心に

それでも好きな気持ちに

私はどう向き合えばいいの

幸せにするとか言ったんなら最後まで責任とってよ

幸せがなんなのかもうわかんないよ

信じるってなにをどうしたいいのかわからない

ありきたりな言葉だと思うけれど

今そんな状況なんだ

幸せって思ってた

私が異常なのかもしれない 考え方が普通じゃないから?

よく彼氏にお前は普通じゃないんだよって言われるからそうなのかな

 

信じるってなんなんだろうか

同じ時間をともにしてお互いを分かち合うのが信じる事なのだろうか

ねえつらいんですよ

いまとっても

いつも夜になるとこわいんですよ

幸せってなんなんですかねえ

私はもういらない子なのですか

えっちが満足にできないからですか?

私が可愛くないからですか?

ほかの子を求めるのはなんでなのですか

冗談で好きっていう心理ってなんなんですか

冗談でいちゃいちゃするのはどうしてなんですか

つい言ってしまったお金ないの?えっちするって言葉はどうゆう考えがあって言ったのですか?わかりたいです

わからないからわかりたいんです

隠れてそうゆう事をしてる気持ち知りたいです

私に足りないのはなんなのですか

私にも居場所ができた

そんなときに救ってくれたのは今付き合ってる彼氏だった

まぁ最初は彼にもかわいい彼女がいたんだ

でも確実に私の心の支えになっているって自覚はあった

早く距離を置かないとその彼女さんの幸せを奪ってしまうって

自分が不幸だから他人をせめて不幸にしないようにってそう心がけていたんだ

それしかできないから

自分が幸せになんてなれもしない

だったからせめて人様に迷惑かけないようにとひっそりと

でも好きって気持ちには嘘つけれなかった

体だけの関係でそれでより彼女を愛すって言われたときは衝撃を受けた

最初私の関係を体だけの関係にしようとしていたんだよね

許せなかった

でも最終的には私を選んでくれたからよかったけど不安しかなかった

私もその子と同じ道をたどるんじゃないかって怖かったんだ

 

付き合ったのはレイプ事件が起きた次の日11月12日

私たちはその日からカップルになった

とても複雑だったんだよ

他人を不幸にしたくないってゆういつの心がけを破ってしまったから

そしてまだ残ってた

その時の記憶が

二年たつけれどいまだに夢に見るくらいなのだから相当しんどかったと思う

 

付き合って2か月くらいで一緒に住むことになった 

一緒に住もうって言ってくれてうれしかった

まぁこんな家庭だしね

 

幸せだった本当に私生まれてきてよかったんだって思った

やっと私にも幸せが来たんだって思った

ずっとずっとこの人と一緒にいたいって

なにがあっても一緒がいいって

いままで沢山つらい事しんどい事人よりも経験してこなかった事沢山経験した

でもこの人がいてるから今までのぶんチャラね

ってその時思ったんだ

 

人によって幸せって違うけど

私の幸せはこの人の隣で

この人の真横で同じ道を歩む事なんだって

やっと私にも幸せが

ただいまって言ったらおかえりって言ってくれる人が出来たんだ

それでも朝はくるんだよ

祖母が倒れた

 

無理もないと思う

辛い思いさせてばかりで私は家を捨てて男に騙されのうのうと帰ってきたからだ

なんでだろうね

男運が本当にないんだ

昔からそうだった

傷つくたびに私の心と体には傷が増えていって

今も残ってる当時の悲鳴 

 

私は働きだした

セブンイレブンでだ

そこでは優しくしてくれて皆家族のようだった

店長をおかあさんってまで言ったほどだ

店長の誕生日には4万円の旅行券をお金をためてプレゼントしたほどに

でも私の幸せっていつも続かない

 

それは唐突に起きて

その日は夜勤だった

冬で朝6時は真っ暗

11月11日ポッキーの日

仕事終わって車で帰るとき

車のドアを開けた時に後ろから押された

何が起きたかなんてわからなくてもがくことしかできなかった

なめられたさわられた無理やりキスされた

もう全部が気持ち悪くてあまり思い出したくない記憶

もう本当私は何十回目のリスカの中で一番きついリスカをした

洗ってもとれない洗っても残ってるような感覚に陥る

洗っても洗っても洗っても洗っても

一日ずっとお風呂で洗っていたこともあった

何回も何回も助けてって叫んだ

何度も何度も男を恨んだ

何回も何回も頭の中で男を殺した

 

裁判はおこさなかった

話し合いのお金だけで解決した そのお金はお兄ちゃん行きとなったけれど

その時期に思っていたのは

それでも朝は来るんだよね

どんなに死にたくなる1日があっても何事もなかったかのようにちゅんちゅんって鳥が鳴ってまぶしい太陽がさ

自分じゃない誰かが幸せだって泣いて喜ぶ一日が

私のずっと抱えて歩いて行かないといけない一日になってんだって

私だけがなんでこんにも不幸なんだって

なんで私だけってこれが人生の中で一番のどん底だったと思う

自問自答だけど

ねえ私は今幸せですか?

誰かに愛されていますか?

こんな過去を一緒に抱えてくれる人と出会っていますか?

本当にその人でいいんですか?

 

 

 

それからの私はとゆうと

完璧にぐれた私がいた

中学までは普通の私だった高校あがってからはもう自分のことなんてどうでもよかった

言ったら反抗期だったと思う

祖母もそんな私にはあきれていた

でも毎日欠かさずお弁当を作ってくれていた

そんな祖母の暖かさなんて馬鹿な私は知りも知らなかった

 

なんとかいろいろあったけれど高校は卒業できたんだ

その時期から祖母がおかしくなった

軽い認知症になってしまった

多分私のせいだとは思う。迷惑かけたから

 

高校卒業して私はある介護食を作る仕事に就いた

でもそこではもう身内のグループができていて 気が強い主婦とかおばさんばかりだったから

まぁ苛められるよね

しんどかった社会に出ることがこんなにもしんどいとは思わなかった

1か月も続かなかった

帰ってきたら部屋は荒らされていたこともあった

祖母だと思う

あつあつの出来立ての白米を顔にかけられたこともあったけれど仕方がない事だと思っていた

当時お兄ちゃんもおかしくなっていてお医者さんに精神の薬をもらってるほど病んでいた

お兄ちゃんにも思うことがあってしんどかったんだと思う

私たちの家族はぐちゃぐちゃになってた

一人ひとり考えることは違くて

悩みを各自持っていたんだともう

皆限界だったんだ

包丁をつきつけられたのもこの時期だった

なぜ喧嘩したなんてもう忘れたけれど・・・

怒ったお兄ちゃん手には包丁

泣いてる私に突き刺そうとした

怖かった死んだかと思った

今思うとこのとき死んでしまえばよかったと思う

そんな家でも安心できる場所はなくて

仕事でもいじめられていて

私の居場所なんてなかった

誰も助けてはくれなかったし ゆういつ信じてた友達にも相談はできなかった

迷惑かけたくなかったし心配させたくなかったから

そんな私を救ったのはネットゲームで

そこで知り合った男の人と恋に落ちた

本当馬鹿だと思う

今その時の自分に何かを伝えれるなら全力でやめてって伝えている

 

 

私は家を出ることにした

祖母も捨ててお母さんが貯めてくれていた大量のお金をともに

その男の人と暮らすためだ

その男の人が東京にすんでいて

同い年だ

顔はイケメンだと思う 女はイケメンに弱いって言うけど本当にそうだと思う

その男の人は働いてもいなかった

でも当時の私はそれでもよかったんだ

好きって気持ちが邪魔をしていたんだと思う

話をとばして簡単にまとめると

60万いいように使われ

お母さんの形見である指輪を売られ

金つるにされていたんだ

本当にばかだよね

その時初めて私はリスカを覚えた

 

私の今があるのはきっと

お母さんがくれたもの

 

私はまぁごく普通の家庭だった小学生二年生になるまでは

お父さんもいてお母さんもいてお兄ちゃん二人もいてとっても幸せだった記憶がある

今は曖昧な記憶でしかないけれど22年間の中ではまだ割と幸せな思い出だから

たまに本当にしんどくなった時によく思い出しては頑張ろうって思うようにしてる

 

小学校二年生にあがったときにはもうお父さんってゆう存在はいなかった。なんで私にはお父さんがいないんだろってその時は思っていたかな

でも大好きなお母さんがいたから全然寂しくはなかった

たまに男子にいじられるだけで大して気にしてなかったけれど

お母さんは気にしていたみたい

 

お母さんがなかなか家に帰ってこなくて

なんでか病院に泊まってる日が続いた

おかしいなって思っていたけれど幼かった私はたいして気にしていなかった

祖母には体が弱くて病院にいなくちゃならないのすぐに戻ってくるから

って言われていたからそんな重要な事でもないんだと思っていたんだ

だから私はその日祖母のお見舞いに行こうって誘いを断って友達の家に行った事をすごく後悔してる

 

すごく寒い日だった冬になりかけの秋

今でも新鮮に覚えてる雨が降っていて

私は友達とテレビゲームしてたんだ

突然だった

友達のお母さんが私たちのいる部屋に泣きながら飛び込んできて私をすごく痛い力で抱きしめたんだ

凄く痛かった

かすれて嗚咽しながら言った友達のお母さんの声は今でも覚えてる

今から病院に行こう

幼かった私でもお母さんに何かがあったってすぐにわかった

わかった瞬間涙が出てきた

 

後から知ったんだお母さんはもう助からない末期のがんだった事

今更後悔しても遅いのは知ってるしどうにもならない事だって知ってる

でも凄く悔しい

お母さんの死に目に会えなかったこと

お母さんは絵が好きでスケッチブックに絵を描いていたのを覚えてる

今でもちゃんと持ってるよ

私が大人になってもお金に困らないように身をけずって貯めた何百万のもお金

が私の名前で振り込まれていた事

お母さんが口癖で言っていた

あやちゃん幸せになるんだよって言葉

今22歳になって改めてお母さんのすごさを知った

今の私がいるのはお母さんがいたからです

お母さんに一言伝えれることがあるなら

私は ありがとう愛してるって伝えたい